生野銀山の程近く、国道429号から分岐する、市川に架かる橋。RC桁橋。
銘板も無く、竣工年も分からなかったが、近年の補修により、ブラックジャックのようになった姿に心惹かれた。親柱の頭の笠の部分も、御影石で復元されていることに、橋に対する強い愛を感じた。(個人的に
立地からして、奥にある敷地の私道橋のようにも見えたものの、通過止看板には建設課とある。Googleのストリートビューで見ると、2018年6月の撮影で、奥にあった工場の解体に伴う工事規制の看板が確認できた。
その規制区間は、『市道愛宕線 ●山橋』つぶれて読めないが…うーん、銀山だ。これを手掛かりに調べたところ、朝来市の『道路橋長寿命化修繕計画の概要』(平成30年3月 朝来市都市環境部建設課)という、市の管理する道路橋の資料が引っかかった。橋のリストもある。それによると、銀山橋、愛宕線、橋長、35.8mとある、長さからしてもこの橋で間違いなさそうだ。その竣工年は、1935年。おおお。
長寿命化計画によると補修の設計は2019年、施工が2020年。折りよく、ちょうど施工されたところを見れたようだ。ブラックジャック白の部分はかつて張り出しで拡幅されていたらしく、リストの次の行にも、同じく銀山橋、愛宕線、橋長、11.0mとあるのはこの拡幅部分のことと思われる。名前とお年が分かってスッキリした。
ここで、もう一つになるものがあった。写真の左の方に写るこちら。
正面から。石積みでできている。
更に、中を覗き込むと、
なんと、煉瓦じゃないか。
白い建物のある、国道429号の向こう側は、明治時代に建設された生野銀山本部があったところ。(現在は三菱マテリアルの事業所)
この道路は、その際に馬車道として整備されたものに由来し、「銀の馬車道」として観光資源にもなっている。馬車道築造について、生野出身の石川淳吉著「生野銀山建設記」より、
明治六年、道路技師レオン・シスリー、熔銅鉱技師ポール・レルム、焼鉱夫アンドレ・ポッシが相ついで着任した。
シスリーを主任として、七月から工を起して、飾磨津から生野に至る馬車道の築造に、取りかかった。直径一寸の小石を、厚さ五、六寸に鋪き連ね、延長十二里十五町三間、灌漑排水のための溝渠、七つの木橋、十五の土橋の設計が終わると共に、確立された。
その後、明治9年に銀山の操業に漕ぎ着けているようなので、その間に造られたものなのだろう。石積みの擁壁も当時のままなのだろうか。
鑑賞していると、国道から丸見えで怪しいのが難点だったが。
撮影:2020/11/8